織田信澄は天正10年6月5日 (1582年6月24日)に丹羽長秀によって誅殺されたが、その子・昌澄は藤堂高虎に救われ豊臣家の家臣となった。 昌澄は大坂の陣では豊臣方として戦ったが戦後高虎に再度救われ、徳川秀忠の宥免により幕府に仕えて2000石の旗本となり、子孫は幕末まで存続した。